丹波古刹十五ヶ寺霊場  
一覧 地図 協賛 見頃 巡礼 表紙
霊場案内図 これまでの 住職のひとこと
 

盆と正月

  うれしいことが重なる例えに「盆と正月が一緒に来たよう」とあります。まさにこの二つの行事は、日本に欠かせない年中行事であり、また密接な関係があります。それは共に「先祖を家に迎える、祭る日」なのです。
 正月は餅を供え物にしますが、これは米の収穫を祝う先祖祭りの名残とされます。しかし、現代では正月が先祖祭りという意識は、ほとんど薄らいでいるのが実情だと思います。これは現代に限ったことではなく『徒然草』にも、“都では失われたが東国では晦日に先祖を迎える”とあります。
 対して盆はどうでしょう。盆は儀式、祭祀方法こそ「盂蘭盆(うらぼん)」という仏教行事として認識されていますが、その根底部分には仏教以前の、日本古来の先祖祭りがあります。それは正月が米の収穫祭であるのに対して、盆は麦と瓜(野菜)の収穫祭であったとされます。現在でも盆にそうめんやうどん、キュウリやナスを供物とするのも、その名残だとされます。ちょうちん
 そして盆が先祖祭りであるという意識が強く残った一因に、夏という季節も関係します。現代人にとって夏は海水浴やキャンプなど、観光やレジャーを楽しむ時期ですが、かつての日本人にとって夏は恐ろしい時期でした。干ばつや水害、落雷そして疫病の流行、当時の人にとって夏を乗り切ることは命懸けでした。そして日本人は祖霊に対して、幸いをもたらす和やかな面(和御魂)と、災いをもたらす荒ぶる面(荒御魂)の二面を兼ね備えていると考えていました。
 春は気候も平穏であるため、正月に祭られる先祖は和御魂であり、対して気候が不順な夏に迎えられる先祖は荒御魂となります。そして荒御魂を鎮めることにより夏を乗り切る、そしてその方法は、それは亡き人が犯した、犯したであろう罪を償う、または我々が犯した、犯したであろう罪を償うこと。つまり「滅罪」です。
 日本に仏教が伝来した当時、日本人は仏教に滅罪の力を求めました。仏を信仰し、仏事を営むと自他の罪が滅びるのだと。そして民衆に教えを広めた多くの修行僧も、滅罪の功徳を説きました。仏事を営み、人々のために善き行い、善き勤めをするのは、自他の罪を償う行為であると。
 このような滅罪による仏教の鎮魂儀礼が夏の先祖祭りと結びつき、そして盂蘭盆という仏教行事として定着していきます。対して正月は鎮魂儀礼を行わない先祖祭りです。ですから外来思想である仏教と結びついた夏の先祖祭り(盆)の方が、仏教儀礼と深く結びつかなかった春の先祖祭り(正月)に比べて、先祖祭りという古来の意識が色濃く残ったというのも面白いことです。
 現在、私たちは神仏に願いを求める時、気軽に「お願いします」と祈っているのではないでしょうか。私たちの先祖が持っていた滅罪の意識。何かを願う前に自分自身をもう一度見つめ直し反省する「懺悔(さんげ)」の心、そして自身だけでなく他者の罪をも償い、そして慈しみと悲(あわ)れみの心を持って他者に接する「菩薩」の心。何かを願う前にまずは一度、この二つの心を思い起こしてください。
 盆のこの時期、先祖とともに善き行い、善き勤めに励んでいただきたいものです。

合掌

高山寺住職
山本祐弘

▲ページの先頭にもどる▲