丹波古刹十五ヶ寺霊場  
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霊場案内図 最新の 住職のひとこと

これまでの 住職のひとこと(No.2)
 

年の瀬に思う

 年末になると「歳を取ると1年がすごく早くて…」という話をよく耳にしますが、私自身もつくづく最近そう思うようになりました。子どもの頃は1日が早くて1年を長く感じ、歳を重ねる毎に1日が長くて1年を早く感じるようになる傾向は、確かにあるようです。
  その理由として、例えば10歳の子どもだと、その1年間は人生から見ると10分の1の長さで、30歳の大人だと30分の1となります。したがって、歳を重ねる毎に体感する1年の長さの割合が次第に小さくなるので、1年が早く過ぎると感じるようになるというものです。
  また、もう一つの理由としては、脳の活動状態にあると言われています。子どもの脳は発達過程で全ての出来事は新鮮で全てを記憶しようとフル活動をしていますが、歳を重ねる毎に脳は既に経験したことは新たに記憶する必要がなくなり、活動がゆっくりになって行くため、その違いで「1年が過ぎるのが早い」と感じるのだということです。
  特に後者の理由からすると、一日一日を意識して大切に生活をして脳に記憶残す努力をしないと、どんどん1年が無駄に早く過ぎ去って行くことになる訳ですね。そう考えると、何だか寂しい思いになってしまいます。
  お釈迦さまの語録をまとめた『法句経』という原始教典の中の260番目に「頭髪が白くなったからとて“長老”なのではない。ただ年をとっただけならば“空しく老いぼれた人”と言われる」という言葉があります。これには、ハッとされる方も少なくないのではないでしょうか?。
  年の瀬が近づくと、各所で「忘年会」が賑やかに行われ、お付き合いの関係で連日お酒漬けという人も多いのではないかと思います。しかし、日々を大切に生活して行かないと忘れるべく経験や記憶も乏しく、本来の目的がどこかへ頓挫してしまいます。できれば“忘年会”ではなく、1年の出来事に対してみんなで確認し合い、良かったことは更に発展を考え、悪かったことには反省を加え、その全てを記憶に残して行く“憶年会”であるべきでしょうね。“空しく老いぼれた人”と言われないためにも…。

丹波古刹霊場第十番 白毫寺 荒樋勝

 

除夜の鐘

 大晦日の風物詩である「除夜の鐘」は、古来より日本人の心にひときわ深く響き渡る美しい音色として愛されてきました。しかし、この鐘の音が安眠妨害だというクレームにより行事を取り止めている寺院が増えてきたという話を聞きます。
  そういえば、夏休みに行うラジオ体操も、早朝から音がうるさいと言うことで、時間を遅らせてCDやカセットに録音したものを利用して行ったり、実施期間を最初の1週間だけに限定しているというケースも多くなったということです。
  職種によっては勤務時間帯も多様化してきたのも事実ですが、何よりも自分勝手な考えを持った人が増えてきたということでしょうか…。とても残念な気がします。
  さて、話は戻して大晦日と除夜の話をします。そもそも「晦日(みそか)」というのは「三(み)十(そ)日(か)」と書き、毎月の最終日のことをいいます。また、同じく「つき」が「こもる」ということで「月隠(つごもり・晦とも書く)」という月末を意味する言葉があります。特に12月は1年最後の月にあたることから「大晦日」とか「大月隠」と呼ばれます。さらに、大晦日は別名「除日」ともいい、「旧年を除く日」という意味で、その夜が「除夜」と呼ばれるのです。
  除夜の鐘では、108回の鐘を打ち鳴らします。その数の根拠に諸説あるので紹介したいと思います。
◇中国の聖なる数字説
  水滸伝では36人の天コウ星と72人の地サツ星の合わせて108人を挙げるなど、聖なる数字なので用いた。
◇暦の説
  12か月 + 24節気 + 72候の合計で108になった。
◇四苦八苦の説
  ゴロ合わせで、四苦=4×9=36 と 八苦=8×9=72 を足し算して108となった。
◇煩悩の説
  人間には捨てがたい感情や感覚があり、この原因は「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)」という6つの感覚と「六塵(色・声・香・味・触・法)」という6つの感情にあるとされ、そこに執着が生じて煩悩となる。六根から「好き」「嫌い」「どちらでもない」の感情が生まれ、6×3=18。また六塵からは「楽しい」「苦しい」「どちらでもない」の感覚が生まれ、6×3=18となる。合計36の煩悩が、過去・現在・未来の三世にわたって生じるから、36×3=108。これにより人間には108の煩悩があるとなった。
  これら諸説がある訳ですが、お経によると人間には8万4千(数え切れない無限の数という意味)の煩悩があるとか、刹那(一瞬一瞬)に108煩悩があると書かれており、一人ひとりの1年分の煩悩をチャラにするには108の鐘では到底足りません。
  でも「煩悩 即 菩提」、つまり煩悩がそのまま覚りに繋がるという教えも一方で説かれています。煩悩を自覚することこそが大切で、一つでも煩悩を減らしていこうとする意識を常に持ちたいものです。

丹波古刹霊場第十番 白毫寺 荒樋勝

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